その日、生徒会の特別寮にある水銀燈の部屋に、小包みが届いた。
「…花?」
一輪のコスモスの花が添えられた、小さな箱。
メッセージカードの筆跡で、それが誰からのものなのかがわかる。
「律儀ねぇ…あの子も」
思い出し小さく笑う。カードに添えられているコスモスを、ゆっくりと手に取った。
自分に花を送ってくる子なんて、彼女…翠星石しかいない。
毎年この季節、この日には、必ず花が送られてくる。
それは、今"あの場所"には綺麗に咲き誇っていることを、教えてくれるもの。
Dear Flower
当時中学生だったあの頃。
あの頃も毎日のように生徒会の活動に明け暮れていた。
翠星石とは1つ学年が違うだけで、当然同じ学校で。
その頃は別に特別な感情なんかない、ただの友達に過ぎなかった。
いや、正直なところ、少々面倒な子だとも思っていた。いつも双子の妹にべったりだし、臆病な上に泣き虫だし。
だから関わりたくなかったのに。
「…何よこれ」
それはきっと、どこにでもある公園。そして公園の中には必ずあるといっていい花壇。
殺風景どころの騒ぎじゃないほどに、そこの花壇は荒れ果てていた。
当時その公園の花壇の管理も兼任しており、日に何度かは様子を見て回っていた。
しかしそれは文字通り「見て回る」だけ。手を加えたりも人手を借りるわけでもなく、ただ傍観するのみ。
『する必要なんかない』
そう思って、吐き捨てるだけだった。
でも、ただ一人だけ、休まずに手を動かす少女が居た。
彼女だ。
来る日も来る日もたった一人きりで、荒れた花壇を立て直している。
まぁ花や植物が好きだということは知っていたし、その時も別に…どうも思わなかった。
だから、そう。たまたまだったのだろう。
気付けば、彼女に声をかけていた。
「──毎日毎日よく続くわね。気が知れないわ」
「! …貴女は…」
「無駄よ、いくらやっても」
「…どういう意味ですか」
癇に障ったのか、彼女がむっとした目つきになる。
「わかるでしょう? 見なさいよ、この有様を」
言って、顎を杓(しゃく)る。
彼女もそれに促されたように、ゆっくりと視線を移した。
振り撒かれた土、散らばった花びら、引き抜かれ踏み潰された苗…
明らかに人為的に破壊(こわ)されたとわかるものばかりが、ここに来た時に、嫌でも目に入るだろう。
毎日取り替えているにもかかわらず、一向に回復の兆しが見えてこないのだから。
「いくら新しいのを植えたって次の日にはこのザマ…何の意味もないわ。やるだけ無駄なのよ」
「……」
「だからこんな花壇のことなんか放って──、…?」
言葉が止まる。目を瞠った。
彼女はまた、ひとつひとつ手作業で、土を、苗を、植えていく。
千切られ捨てられた花びらを拾い集め、土をかき集め、処理していく。
この子は、今の話を聞いていたのか?
「…貴女…私の話を聞いてなかったの? この花壇は──「直せます」
強い言葉が、遮った。
「私はこの花壇を直すためにここにいるんです」
緋翠の瞳が見据えていた。
迷いなど一切ない、強い決意の瞳が。
「……馬鹿みたい」
呆れたというのを超えて、ただ本当に、馬鹿馬鹿しかった。
どうせ強がっているのなんて今のうちだけで、そのうちに音を上げるに決まっている。
気の強い面を垣間見た気がするが、それでも、相手にすることはしなかった。
☆
それからも同じだった。毎日毎日…それこそ時間がある時にでもすぐに彼女は公園へと足を運び、花壇の手入れを施していた。
たまに見かける時もあったが、話しかけることなどするはずもなく。
ただわかっていたのは、何度繰り返しても結果は同じだったということ。
「無様ね」
やっても無駄なことを繰り返すなんて。
手入れをした直後、荒らされる。当然、彼女の目に見えないところで。
気付いているはずなのに、彼女はやめない。やめようとしない。
「何の用です」
「いい加減あきらめる気はないの?」
「ないです。この子達がかわいそうですから」
花、が? かわいそう?
「…貴女って意外と強情ね。どうしてそこまでするのよ? 何の意味があるわけ?」
「花壇には花がたくさんあるほうが綺麗ですよ」
「そんなことしてもまた荒らされて終わりじゃない」
「その時はまた直せばいいだけです」
「……」
埒があかない。
しかしこうして接してみると、内面(なかみ)は意外にもしっかりしているらしい。
臆病な子だと思っていたら、とんだ曲者だ。
「…花壇、荒らされてるの、知ってるでしょ?」
「……はい」
「どうして何も言わないのよ? そいつらのこと待ち伏せでもして仕返せばいいわ」
自分こそ何を言っているのか。こんな少女など置いてさっさと帰ればいいのに。
少女の意外な面を知ったからか、少しこの子に対する考え方が変わってきていたことに、気付いていなかった。
「やられたらやり返しなさいよ! 悔しくないの!?」
「…でも、それは悪いことです」
ゆっくりと、顔を上げる。
「悪いことを悪いことで返すのは…悪いことだと思うですから」
───微笑んだ少女が、居た。
悪いこと……、彼女はそう言った。悪いことを返すのは良くない、と。
こちらの言い分も彼女はわかっていたはずだ。だけど、聞かなかった。
きっと彼女はそうなのだろう。普段はおとなしいくせに、一度思いつめると強情で、決して意見を曲げようとはしない…そんな性格。
だから、もう…何もいえなかった。説得する術を持ちえなかった。
「………悪いこと、ね」
「え?」
悔しいという気持ちすら込み上げてこないほどに、完敗だった。
「負けたわ。…貴女の勝ちよ」
「水銀燈…?」
「で、まず何をすればいいのか教えてもらえるかしらね」
「! 手伝ってくれるのですかっ!?」
途端、飛び上がりそうなほど彼女は喜んでいた。本当に、嬉しそうに。
つい先程までは鬱陶しく思っていた笑顔に、自然と笑みが零れたことに…自分は気付いていたのだろうか。
その日、彼女と二人で夕方近くまでかかって作業をし続けた。
一人より二人、時間もそれなりに短縮でき、終わる頃にはほぼ完成が近付いていた。
慣れない作業に疲れはしたが、それなりに充実感と達成感があったように思う。
翠星石も翠星石で、まるで疲れなどないように、嬉しそうに水を撒いている。
そう。植え込みはできた。あと気がかりなことといえば…
(…そうね。あとは…)
きっとまた荒らされるだろうということを想定し、早急に手を打つ。
自分の苦労が報われないのが嫌だと言うよりは、翠星石の悲しい顔を見たくなかったからかもしれない。
携帯電話を取り出し、急ぎ電話を図った。
「───ええ。じゃあ早朝からってことで、よろしくぅ♪」
生徒会の面々に通達。慌しく抗議する声が相手側から聞こえた気もするが、そこは素通りしたほうがいいのだろう。
清々しく電話を切り、未だ花壇へとしゃがみ込んでいる少女に近付いていく。
「水銀燈…」
「…話はつけたわ。この花壇はもう大丈夫よ」
「っ! あ、ありがとです…っ!」
泣き笑いのような表情が、夕日に染まりかえる。
一瞬あまりの綺麗さに見惚れていたが、彼女が名を呼んだことで我に返った。
それはつい先程一緒に植えた、苗の花壇。
「この花壇で一番先に花が咲いたら…、水銀燈、もらってくれますか?」
「…私に?」
「貴女に…もらってほしいんです」
そう言ってまた微笑う彼女の笑顔が、ただ綺麗で。
知らず知らずのうちに、自分の頬が熱くなっていることに、気付くのは遅かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今にして思えば、あれが翠星石を意識するきっかけとなった出来事といえるだろう。
現にあの日から、彼女を見る目が変わっていった。"ただの弱い少女"と思っていた考えが、すっぱりなくなるほどに。
話しかけられれば嬉しいし、微笑ってくれるともっと嬉しい。
…まぁ自分がこんな乙女チックな考えをしているとは、よもや思わなかったわけだけど。
「あ、水銀燈! おはようです!」
でも、笑いかけてくれるだけで充分だと思えるから。
「…花、受け取ったわよ? まだ憶えてたなんてね」
「当たり前ですよ。水銀燈は、あの花壇の恩人ですから」
「恩人ね…、貴女はどこまでお人好しなのかしら」
「水銀燈ほどじゃないですよ?」
「? どういう意味…?」
くすくすと笑う彼女に問い返そうとしても、彼女は嬉しそうに笑うだけで。
頬が綻んだまま、不意に口を開いた。
「やさしい水銀燈…大好きです」
よく聞こえなかったのか、もしくは聞き違いか。
口を開きかけたその時、こちらに全力疾走してくる蒼星石が視界に映る。
また邪魔しに来たのか…と思った矢先、翠星石が耳元まで近付いてきた。
囁くその声は、嬉しそうに。
「あれは私達だけの秘密ですよ」
きっと私は貴女のようには笑えないけれど。
貴女はどうかそのまま、輝いていてほしいと願う。
花のような少女には、花のような笑顔が、どうかずっと、咲き続けることを。