誰よりも大好きだった。
離れずに、ただふたりで居たかった。
どこまでも続いていく空のように ずっといっしょに…
空ばかり見ていた(1)
12月の下旬。季節は本格的に冬へと移り変わってきた。
吹き抜けていく風も冷たくて、掌に吐く吐息のあたたかさもすぐに奪っていく。
奪われていく、熱。
奪っていくものは───本当にそれだけなんだろうか。
「おはよう」
それはいつもの朝。リビングに間延びした声が響く。
朝食の準備をしていた翠星石は手を止め、ドアの方へと振り向いた。
やってきた妹──蒼星石の姿を見つけ、いつものようにあいさつを。
「おはようです。今日は早いですね?」
いつもは寝ぼすけなのに、と付け足して、椅子に腰掛ける妹にミルクを差し出す。
「睡眠時間は足りてないけどね」
手渡されたホットミルクを飲みながら苦笑する。
冷え込んでいた身体に、あたたかいミルクが染み込んでいく。
「む…また徹夜ですか。ほどほどにしないとぶっ倒れるですよ」
「体調管理には気をつけてるから大丈夫だよ。それにこの時期は追い込み時だし」
中学3年生である自分たちは来年度に向けて受験を控えている。今はその勉強に追い込みをかける時期。
日頃から怠けているわけでも遊び呆けているわけでもないが、やっておくことに越したことはない。
倍率の高い高校を受験するのなら、なおさら。
「それにそういう君だって毎晩遅くまで部屋に電気点いてるじゃないか」
「え、あ…それは…その…」
「前に比べて問題訊きに来ることもなくなったけど…君もほどほどにしないとそのうち倒れるよ」
「……」
蒼星石は飲み終わったミルクのカップを持って流しに向かい、出来上がっている朝食をつまんでいた。
翠星石はそんな妹の様子に一瞬表情を曇らせるも、そのまま全部食べ尽くしてしまいそうな妹を止める。
「こ、こら蒼星石! ちゃんとテーブルに運ぶまで待つです!」
「えー」
「「えー」じゃないです! ほらほら! 座って待っとくですよ!」
蒼星石は姉に背中をぐいぐいと押されるまましぶしぶながら席へと戻った。
翠星石はそれを確認し、時間を伺いつついそいそと朝食をテーブルへと運んだ。
運んで並べ終わって、席に着く。いただきますと軽くあいさつをして、箸を取った。
ご飯の感想やら今日の授業の話題やら、それはどこにでもあるような日常会話の内容。
いつも通りの会話。
何気ない朝の風景。
なのに。
もくもくと食べていく蒼星石を向かい側で眺めつつ、翠星石はあまり食が進まなかった。
☆
「は〜…寒いですぅ…」
「冬だからね」
「んぅ…」
いつも通りに、ふたりで家を出る。玄関を閉め戸締りを確認し、寒々とした空を歩く。
びゅうっ、と吹き抜けていく風が寒くて冷たくて、コートの下で思わず身が縮こまる。
はー、と両手に息を吹きかけるがすぐに温もりが奪われていく。
「手。」
「?」
「手、貸して」
身震いする翠星石に、蒼星石はひと言。翠星石は『?』のまま見つめ返した。
とりあえず言われるまま、片手を差し出す。
蒼星石は姉の手を取ってぎゅっと握って、そのまま繋いだ。
「!…」
「これなら少しはマシでしょ」
「あ、…」
「嫌かい?」
「い、いえ! 全然…」
小さく首を傾げるように顔を覗き込まれ、すぐに首を振った。
よかった、と微かに微笑んで、蒼星石は手を繋いで引いていく。
歩く妹の歩幅に合わせ、翠星石も引かれるまま歩いていく。
こんな触れ合いも、何気ないこと。
昔から何度も繋いできた手。それを繋ぐことに…どうして違和感を覚えるのだろう。
こんなにもあたたかい掌(て)なのに、どうして───…
今目の前にいる、自分の妹。生まれてからずっといっしょに生きてきた、双子の片割れ。
自分にとって何よりも大切で、かけがえのない家族。
大好きな大好きな、双子の妹───だと、思っていたのに。
あの日──
いつも通りの日常が、ただの姉妹だった関係が、変わり始めた。
いつもの学校。授業終わりの放課後。それは本当に唐突に、突然。
「話がある」と呼び出され、今までにないような真剣な顔の妹の口から出た言葉は、思いもよらない言葉だった。
『君のことが好きなんだ』
それは、今でも耳に残る声。冗談なんかじゃない、真剣な告白。
それが冗談ではないことはすぐにわかった。もともとそんなふざけるような子ではないから。
きっと『姉』としてだろうと期待していた最後の望みも遮られ、『姉さんとしてじゃないから』と念を押された。
喜びだとか嬉しいだとかそんなことではなかった。ただただ、驚くばかりで。
妹だと思っていた。大切な、ただひとりの家族であると。
毎日を同じ屋根の下で過ごし、食事も勉強も休日もいつもいっしょに過ごして…それが自分にとって当たり前で。
でもそれは…そんな風に過ごすのは『家族』だからであって。まさか『そういう目』で見られているとは…思わなかった。
『蒼星石…?』
『ちゃんと言ったから。覚えておいて』
驚くだけの自分に、蒼星石はただ真剣に。
言葉を返さない姉(わたし)に、蒼星石は強い言葉で捕まえるように、耳元で囁いた。
『絶対にあきらめないから』
その言葉で縛られたように、気がつけば蒼星石から逃れられずにいた。
いつも考えていた蒼星石への思いが…次第に変わり始めていた。
でもその感情は『告白してきてくれた気持ち』への"戸惑い"であって、"理解"ではない。
蒼星石を想う気持ちに嘘偽りはない。だけどそれは家族を思いやる『愛情』レベルであって『恋愛』レベルではなかった。
"蒼星石の気持ちには応えられない"
そう頭では結論が出ているものの、どうしても本人に伝えることができない。
傷つけたくない
悲しませたくない
傷つく顔を見たくなくて…そんな言葉で逃げているだけ。
後になればなるほど言い出しづらくなるというのに。
「──あ、昨日の火傷の具合はどうだい?」
「あ…もう平気です。蒼星石がすぐに冷やしてくれましたから」
「…そっか。それならいいんだけど」
「心配してくれてありがとうです」
「当然。君に何かあったら僕が困る」
「…!」
さらりと。当然のように蒼星石は言ってのける。
以前ならばそれが『妹』として『姉』を心配しているだけだと思って疑わなかっただろう。
でも今は違う。
もうそんな風に捉えることができない。
少なくとも蒼星石は…もう翠星石(わたし)を『そんな風』には思っていないのだから。
「───」
今更ながら、思う。どうしたらいいのだろう。
つい先程までいつも通りに接していたのに、蒼星石の何気ないひと言に心が揺さぶられたり不安定になったり。
一度乱れたら元に戻すことは容易ではない。
早く返事をしなければいけないと思いつつも、そのままズルズルと過ぎていくだけで。
そんな曖昧な態度のせいで返事もできないまま、いったいどれほどの時間(とき)が過ぎたのか。
一週間や二週間やそこらではない。ひと月近くは経っているかもしれない。
まだ、この迷路からは、抜け出せない。
「少し遅いな…。寒いけどちょっと急ごうか」
「…あ、はいです…」
繋いだ手の力が強くなって、ちょっと痛い。
でも、その痛みすらも痛がってはならないのだと…頭が言い聞かせている。
胸を急く音が、さらに強くなる。
蒼星石の顔が、見られない。
こんなもやもやとした気持ちでさえなければ、心配してくれる妹の気持ちをただ純粋に"嬉しい"と思えたのだろう。
何の迷いも戸惑いもなかったなら、今繋いでいるこの掌(て)を、ただ素直に…"あたたかい"と感じることが、できたのだろう。
(…私は…)
冷風が頭の芯を冷やしていく。
答えは、未だ、出せない。
☆
「───で、あるからして──」
授業中。担当の教師の説明と黒板に書くチョークの音だけが教室内に響き渡る。
一部の生徒らは私語で盛り上がり、また一部の生徒らは堂々とサボリをかましている。
が、そんなことすらも目に入らず、翠星石はただぼーっとしていた。教科書やノートは机に広げていたが、視線は窓の外へ。
木枯らしが吹く青空を、ただぼんやりと眺めていた。
「授業終わったよ?」
いったいどれくらいそうしていたのか。
前の席に座る蒼星石がかけてきた声で、ようやく我に返った。
「……え? あ…」
気付き顔を向けるが、そこにはすでに蒼星石しかいなくて。他の生徒たちの姿はなかった。
「みんなはもう帰ったよ。今日は午前中授業だから」
ああ…そういえばそうだった、と思い出して、ため息混じりに肩をすくめる。
みんながいなくなるまで気付かなかったなんて…ぼんやりしすぎにもほどがある。
再び小さくため息をついて、広げていた教科書やらを鞄に詰めていく。
「どうしたの? ノートも取らないで…考えごと?」
「え? あぁ〜」
まさか蒼星石のことを考えていた、などとは言えない。悟られないよう、振舞う。
「ほら。あいつの授業退屈ですから眠くてしょうがなかったんですよ」
「退屈ね…たしかにつまらないとは思うけど」
「ですからちょっと仮眠を取ってたですよ。でも寝すぎたですね」
苦笑して、帰り支度を整える。すでに用意の整っていた蒼星石同様、コートを羽織り、鞄を手に教室を後にした。
廊下を歩き下足場まで来たところで、玄関口に人影が。どうやら女子生徒のようだ。
「──あ…!」
「来たよ! がんばって!」
「しっかりね!」
その女子生徒は翠星石たちを見つけ…というより、明らかに蒼星石の方へと視線を注いでいた。
友人たちに元気付けられたひとりの女子生徒が、勇気を出してこちらに歩いてくる。
その手には一通の白い封筒。おそらく中身は…ラブレター。
「あ、あ、あの…蒼星石、先輩…」
少女は緊張が極限にまで高まっているようで。誰がどう見てもガチガチ状態だった。
それはそうだろう。一世一代の大告白なのだ。それも、同性の先輩に、愛の告白を。
自分がここにいると邪魔になる…
そう思い、翠星石は席を外そうとゆっくりと距離をとった。
「…あ、邪魔になったら悪いですから先帰ってるですね」
「え、あ、いえっ、そんなつもりは…」
「いいから気にせずしっかりするです。蒼星石! 泣かすんじゃないですよ!」
それだけ言って、小走りにその場を去っていく。
蒼星石は無表情、無言のまま、何も言わなかった。
「…やれやれ。人がいいな彼女は」
姉の走り去った道を目で追いながら、ため息をひとつ。
改めてこちらへと向き直った女子生徒が、少し和らいだような面持ちで、それでも緊張を露にしながら蒼星石に手紙を差し出す。
差し出されたと同時、受けるのは愛の告白。
蒼星石は何の躊躇いもなく、その手紙を受け取った。
☆
学校を後にした翠星石は寒空の下、ひとり通学路を歩いていた。
車も人通りも少ない道沿いを歩きつつ、ふと、先程のことを思い出す。
蒼星石に告白をしてきた少女。友人に背中を押されてはいたが、勇気を出して決意したのは、他でもない彼女自身。
手も足も震えて。きっと心臓などこれでもかというくらいにうるさく騒いでいたのだろう。
だけどそれでも、勇気を絞って、がんばった。
もし自分なら…同じようにできただろうか。勇気を出してがんばることが…できただろうか。
「できないかも…しれないです」
大切な相手に大切な想いを伝える…たったそれだけのこと。簡単そうで、だけど一番難しいこと。
きっと本人を前にしたら何も言えなくなってしまう。良いようにはぐらかして…ごまかしてしまうかもしれない。
相手は返事を今か今かと待ちわびているかもしれないというのに。
(…でも…)
ふと、思う。蒼星石は…あれからどうしている?
一度目の告白から…あれから、何も言ってこない。再度の念押しも、返事の催促も、それらしき言葉は何も口にしない。
たしかに最初「好きだ」と言われ…「絶対にあきらめない」とまで言われたのは、事実。
でもそれから何か…具体的にどうこうされることなど、なかったのではないか…?
今だってそう。
気まずくなりがちだった初めの頃が嘘のように、今はふたりとも普通に接している。
告白騒動など何もなかったように、ふざけ合ったり笑い合ったりの騒がしい日々が続いているではないか。
(…そうです。それなら…)
きっともうやめたんだ。あきらめたのかもしれない。それか、呆れてうんざりしているか…
どの道もう想っていない可能性もある。きっと簡単に諦めのつく…その程度の気持ちだったのかもしれない。
──そう思えたなら楽だった───
「…まったく蒼星石は…とんだスケコマシなんですから」
「それはどうも」
「!?」
──そう思いたかった心が───
「──そ、蒼星石!? な、なん…っ…え? どうして…」
「独り言で僕の悪口かい? 随分だな」
わたわたと慌てる姉に蒼星石は軽く笑い流す。翠星石はまだ理解できないらしく目を白黒させている。
何故ここにいるのか、と互いの色違いのオッドアイが語りかけていた。
「だって告白されて…さっきの女の子は…」
「断ったよ」
驚愕に目を見開く姉に、ただひと言。歩みを止めていた足で再び、歩き出す。
「「好きです」って言われて手紙渡されて受け取ったけど、読まなかった」
「…読まなかった…? どうしてですか?」
「読んだって意味ないでしょ。どうせ付き合わないんだから。だから読まずに破いた」
言葉が出なかった。あのやさしい蒼星石がそんなことをするなんて思わなかったから。
温厚でやさしくて…みんなの人気者で。彼女を慕う生徒は数多く居た。
何度も受けている告白の返事も、誠心誠意をもって接していると…そう思っていたのに。
「…どう…して…そんな…そんなこと…っ」
あんなにやさしい蒼星石が、どうして。
「酷いだろうね。ちょっと過ぎたかもしれない。でも、僕は悪いとは思わない」
どうして、こんなことを平然と口にする?
「…っ…どうして…」
自分の少し前を歩く蒼星石の表情がわからない。
今…どんな表情(かお)をして何を思っているのか…わからない。
どくんどくんと激しく心臓を打つ鼓動がうるさい。
何かを騒ぎ立てるように、何かを警告するように、激しく胸を打つ。
「好きでもない子に寄って来られるのは鬱陶しいから」
蒼星石が、止まる。自然と自分の歩みも止まる。
震える足、震える手、震える鼓動。
今はもう…立っているのが精一杯。
僅かな沈黙。裂いたのは、妹。
「僕が好きなのはひとりだけだ」
「!…」
言われたのと同時、手が、握られる。
蒼星石の右手が、自分の左手をしっかりと握っていた。
「わかってるんじゃないの?」
真剣な声。すぐ傍で、凛とした鋭い声が響く。
声を返すことも、俯いた顔を上げることもできない。
ただ感じるのは…痛いくらいに刺さる、視線だけ。
「僕は」
だめ。
「君が」
言わないで。
いまは…聞きたくない
「さ、先、帰ってて、くださいです」
「何で?」
「晩ご飯の買い物して帰るですから!!」
顔を俯かせたまま、どうにか張り上げる。
強張る体。依然として激しく胸を打つ音が、焦燥を煽る。
「荷物持ちに…」
「い、いらないです! 自分で持てるですから…」
食い下がる妹を制し、慌てるように手を解き足早に走ってゆく。
どくんどくんと胸打つ鼓動が、熱が、全身を震わせる。吹き抜けていく風すらも、冷たさを感じない。
振り返ることもせず、ただ騒ぐ心のまま、蒼星石から離れた。
───ココロが、割れた気がした───